2013年8月19日月曜日

共に生きる


「時間がないと言われても、最後の最後までそうはしないもんだよね。」

10年前に20歳で逝ってしまったAの御両親から贈り物を頂いた。
お礼のお電話をしたら、話は尽きず・・
お母様はあの頃をそう振り返られた。


Aとは7歳から13年間のお付き合いがあり、
患者さんというより妹のような存在。今も私のPCの前には写真がある。
詳細は書けないけど、私が出会った頃の病気は治ったのに
19歳で違う病に侵され、20歳で逝ってしまった。

 当時は(今もかな?)どうして二回も病気に。。と何度悔しく思っただろう。
きっと御両親は尚更に。

Aには、告知をしなかったから私たちはお別れをいうような接し方は出来なかった。
お別れを言えたら違ったかは、もう分からないし
よかったとか、悪かったとかはお母様の言うとおりそういうことではないのだろう。


 「もっと何かしたかったとか、抱きしめたかったとか思うけど
そういうんじゃないんだろうねぇ。」
「あの頃、いろいろ取り乱して口走った気がする。ごめんねぇ。」
「話がつきないわ。。会いたくなっちゃった。。」
23年分の話は尽きず、今度静岡まで会いに来て下さるらしい。

何年経とうが、お子様を亡くすということはこういうことなのだろう。
御両親は、そのお子様とずっと共に生きていく。


グリーフケアってなんでしょう?

 想像や理解は出来なくていい、でも少し社会で分かち合えたらいいのにと思う。
悲しみは減らないけれど、苦しみを背負った人だけが苦しいというのはどうなのだろう。


そんなことを思いながら、まだ何にも出来ない自分へのふがいなさと
御両親の気遣いへの嬉しい気持ちとの複雑な想いでメソメソしながら
頂いたかまぼこを(復興支援を兼ねてかまぼこらしかった。)食べた。
そして、こういう夜がまた私の糧になる。



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